名前がすべてズレた世界?
研究室で仲間とぼーっと駄弁っていたときのお話です。数学科でない人もこの記事を読むと思うので、噛み砕いた表現を含みます。
「集合」というものは多くの人が高校で学んだと思います。とりあえずここでは「何かしらものの集まり」と思っておいてください。
例えば「コップ」「水」「本」というものを集めたら、それで集合と考えることができます。数学のような書き方をすれば、
{コップ,水,本}
みたいになりますね。これを高校では外延的記法と言ったりしました。
このコップや水や本の1つ1つのことを「要素」や「元(げん)」と呼ぶのでした。
集合からいくつか元を取り出すとそれらでまた集合をつくることができるわけですが、そういうものを部分集合と呼ぶのでした。例えば
A={コップ,水,本}, B={コップ,水}
ならばBはAの部分集合ということになります。
Aのような要素の個数が有限個であるような集合のことを「有限集合」と言ったりしますが、 要素の個数が無限であるような集合を考えることもでき、それを「無限集合」と言います。例えば,自然数全体や整数全体、実数全体などは無限集合です。
無限集合は{コップ,水,本}のように要素をすべて書き並べることができないので、
{n|nは自然数}
みたいに書きます。誤解がなければ
{1,2,3,…}(…はこの後ずっと続くという意味)
のように書いてもいいでしょう。
さて、何かしらの集合があれば、そこに順序を入れることができそうです。
「順序を入れる」と言われると何やら難しく聞こえますが、つまりは「要素と要素の間に上下関係をつけてあげる」ということです。
会社があれば、そこには上下関係があるでしょう。例えば次のような集合
{平社員,部長,社長}
には平社員の方が部長より下で、部長の方が社長より下で、という風に順序を入れることができます。 <という記号を使って
平社員<部長
のように書いても意味は通じるでしょう。
数の集合ならば、1<2<5みたいな順序が(普段から当たり前に)入っていますね。
もちろん集合に入れる順序は自分で好きにしてよいので、平社員>社長という順序を考えても今は問題はありません。会社では怒られると思います。
このように、集合に順序が入っている集合のことを順序集合と言います。
ここまでが小学校でやったことの復習です。大学では「整列可能定理」という凄い定理を勉強します。
【整列可能定理】任意の集合は、適当な順序を入れて整列集合にできる。
というものです。やはりよくわかりませんから、日常的な言葉で言い換えると「どんな集合も、要素と要素の間に上下関係を入れて1列に並べることができる」くらいでしょうか。
厳密にはこれは少しヤバい説明なので、数学科の人はきちんとした定義で理解してくださいね。
例えば、会社の中で同じ平社員でも、「立場が同じなら誕生日が早い方が偉い」という上下関係を入れることができます。
一見すると当たり前のように思える定理ですが、これが「当たり前でないと感じる」のには多少の訓練が必要なのでここでは説明しないことにします。
ともかく、ここではどんな集合にも順番が考えられると思っておいてくれるだけで大丈夫です。
ようやく本題です。
研究室でぼーっとしていたある日、僕はこんなことを考えていました。
「この世の万物を整列可能定理で並べて、その名前を1つズラした世界を考えたら頭が痛くなりそう」
自分でも何考えてるのか意味不明なのですが、つまりは次のようなことです。
まず、「この世のありとあらゆるものを集めた集合」を考えます。コップ、水、iPad、ティッシュ、電気、酸素、ホワイトボード、マウス、ノートパソコン、コンセント、ケーブル、ホッチキス、ボールペン、、、ありとあらゆるものを集めます。
この集合を「万物の集合」と呼ぶことにします。
この時点で数学科の人からはツッコミが入ってほしいのですが、それは最後に触れることにしましょう。今触れるのは野暮ってやつです。
そして整列可能定理を適用することによって、その万物の集合に順番が入ります。
例えば、ノートパソコン<マウス<水といった具合です。万物が1列に並んでいる様子を思い浮かべてください。自然数のように並んでいる様子を思い浮かべるのがわかりやすいです。
1列に並んだ全てのものには名前があります。
その名前を1つ隣にズラします。
つまり、
ペン<消しゴム<マウス<水
のように並んでいたなら、消しゴムの名前はペンになり、マウスの名前は消しゴムになり、水の名前はマウスになります。
頭が痛くなってきたでしょ?
友達に
「ちょっとペンとってよ」
と言われれば僕が渡すのは消しゴムだったものです。
「ちょ、書きたいんですけど!?」
と怒られるのが容易に想像できます。
しかし、「書く」という概念も万物の集合に含まれているため、「書く」は例えば「愛してる」に置き換わります。
想像してみてください。
「ペンとってよ」
(消しゴムを渡す)
「愛してる!!」
クソカオスです。
これが僕が作りたかった世界です。 数学って面白いですね。
「今日は晴れだね」
と言いながら外は台風。
「蚊に刺された!」
と言いながら誕生日プレゼントを渡す。
「あんたとは離婚よ!」
と言いながらお婆ちゃんの荷物を持ってあげる。
世界の終わりです。
こんなことをぼーっとしてるときに考えちゃうんですから、数学なんてやるもんじゃありません。
さて、数学科の人はさておき、普通の人でも気になるであろうところが1点。
名前を1つずつズラしたのなら、最初の1個はどうなる?
というところです。
1<2<3<4<・・・
については4は3に置き換わり、3は2に置き換わり、2は1に置き換わるわけですが
1は何になるの?
という疑問が残ります。これに対する明確な答えを用意しているわけではないので、
1という概念は消滅する
ということにします。消滅させる概念(最初の1個)は好きに選べますが、どの道存在しない概念は認識することすらできませんから、問題は生じないというわけです(暴論)。
例えば、人間の感情が喜怒哀楽しかないとすれば、それは元々あった何かから減って喜怒哀楽になったのかもしれないと考えられますが、それが何だったのか、そもそもあったのかなかったのか、そんなことを我々は認識することはできません。そういうことです。
いかがだったでしょうか。万物の名前がすべてズレた世界、素敵だとは思いませんか。
もしかしたら僕たちの世界は、既に名前がズレた世界なのかもしれません。
それではまた。
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以下では数学科の人からツッコミが入りそうな部分について軽く補足しましょう。少し内容が難しいので、読む必要はありませんよ。
まず、整列集合のイメージとして、綺麗に最小元から1列に並んだイメージはマズいです。例えば
{(1,1),(1,2),(1,3),…,(2,1),(2,2),(2,3),…,(3,1),…}
などは上の並びで容易に順序を入れることができてかつ任意の部分集合が最小元を持ちますが、例えば(2,1)には前者がありません。
並べた後に1つズラすということは、自身の名前が前者の名前になるということですが、前者が存在しないのでそのように定めることができません。
ズラすのを逆にする、つまり自身の名前を後者の名前に置き換えるということも考えられますが、すると今度は(2,1)の名前がどこかへいってしまいます。 いずれにせよ、犠牲は払わなくてはなりません。
そして、どちらにズラすにしろ万物が上に書いたような集合であった場合には最初の1個(つまり、全体の最小元)だけの犠牲にとどまらず、(2,1)や(3,1)の犠牲が付き纏います。
整列可能定理が威力を発揮するのは連続体濃度の集合に対しても並べられちゃう(それはつまり選択公理!)ということで、可算ならばそもそも話はここまでややこしくなりません。万物の集合は連続体濃度以上でしょうから、万物から非可算無限個の名前が消えてしまうことになります。
つまり、この世のほとんどのものには名前がついていないことになります。
その一方で、それと全く同じ濃度の分だけ名前がつくはずでもあります。どんな世界になるのか、興味深いですね。
さて、以上の議論が本当に無意味だったということを最後に書きましょう。
「万物の集合を考える」と書いた時点で、数学科の人からは鋭いツッコミがあったことと思います。
「万物の全体は集合にならん」
ということです。
万物の全体の集合をXとすると、カントールによればXと2Xが対等ではないにもかかわらず、2Xの濃度≦Xの濃度(2XはXの部分集合となるので)が言えてしまい、矛盾します。
間違ってたらごめんなさい。